――アスペルガー症候群の人の、人との対応のしかた――

アスペルガー症候群と呼ばれる高機能自閉症の人たちは
生まれてからのち自閉症障害になるのではなく
生まれたときから、もっと言えばお母さんのおなかの
中にいるときからすでに自閉症の脳のかたちが形成されて
いたりするわけです。

つまり後天的な障害ではなく
先天性のもの、生まれつきの障害が自閉症です。

一般の自閉症と違うのは、言葉を他人と取り交わしたり
本などを読んで文字を学習したり相手に感情をさまざまに
示したりできたりする点です。

一般に自閉症と言われる人たちはまともに相手と言葉を
酌み交わして対応することができず、施設などで必要な
ケアや生活の支援などが必要となります。

しかし、高機能とされる自閉症の人たちは違います。
会話を持ちかけられたら会話の内容のかみ合うかみ合わないは
ともかくとして、「話しかけられたら話返す」ことができますし
人によってはむしろ積極的に話しかけてくるケースさえあります。

しかし、会話や応対の仕方はと言うと
一方的に自分のことばかりを話したり、あるいは逆に
ずっと相手の話を聞き入っている状態だったりします。
要するに人の投げかけに対する対応の仕方に
極端な対応がよくみられることが多いのです。

さらに特徴的なのは

「会話をしているのに相手の目を一度も見ない」

「相づちを一回も打たない」

「今話している話題とは違う話題で返してくる」

「話題がころころ変わる」

「相手の傷つく事をためらうことなく言う」

といった、対話上のマナーを守らない言動が
頻繁にみられる事です。

アスペルガーや高機能自閉症の人たちの
こういった言動は、決してわざと相手を
不快にさせようとしているわけではなく
自覚がないカタチで振る舞っているのです。

なぜなら彼らは脳の特定の部分、
特にコミュニケーションを司る部位に
未発達の障害を抱えており
普通の人なら当たり前とするコミュニケーションの
決まりをこなす事が出来ないようになっているから
なのです。

ですが、アスペルガーの人たち、
そしてその特徴をを知らない人々からすれば

「なんて常識の無い人だろう」

と見られてしまうことが少なくありません。

そして、アスペルガーの当事者である人物が
「自分はアスペルガーである」と言うことを
知らない場合もあり、
そうした人は「なぜ自分は人々から非難されたりするのだろう」と
悩み苦しむこともあるのです。

そしてアスペルガーの人は、なんとかそうした問題を
解決しようといろいろ考えたり、
コミュニケーションの上達法の本などを読んだりして
解決を図ろうとしたりすることが多いのですが
もともとの脳機能が対人交流をうまく図れるように
出来ていないので解決に結びつかなかったり
するのです。

アスペルガーなどの発達障害に対する 世間の反応

昨今、テレビや新聞などでよく「発達障害とは」という記事を
見かけるようになったと思います。

しかし個人的にはまだまだ発達障害と言う障害は世間に
あまり知られていないと思います。

特定の発達障害、特にアスペルガーや学習障害、注意性欠陥障害と
呼ばれるような障害は、一般の人から見たら
「その人が持っている個性」のように捉えられてしまうようなのです。

例えば、学習障害(LD)という障害者のひとは
生まれつき「国語」「理科」「社会」「算数」などといった
学校で習う教科の学習がなかなかできません。
つまり、人と同じだけの勉強の仕方や量をこなしても
他の人と同じように学力が伸びていかないように
脳の構造が形作られています。

これは生まれつきの脳の構造であり
本人の努力で脳の構造を変えることができません。
ゆえに一生懸命勉強に励んでも、一定以上の学力を身につけたり
することができず、苦しい思いをすることになることが多いのです。

ところが、多くの世間の人々は、こうした脳の発達障害を持つ人たちが
障害のせいで勉強ができないのではなく、

「本人の努力が足りないから、彼は勉強ができないのだ!」と
勘違いされてしまうのです。

そして周りの教師や親やクラスメートからも良くない評価を受け
苦しむことになるのです。

「努力すればどんなことだって叶うんだ!」と漫画やアニメや歌などでは
訴えますが、それは美術、美学的な世界では美しくとも
現実世界においては酷いことばだと思います。

例えるなら、両手両足のない人に、
「自分の手足を持ってして全力疾走をして、人類の徒競走の平均タイムを出せ!」
「平均タイムを出せないなら!お前は努力が足りないんだ!!」
といってるようなモノです。障害があるからできないことはあるのに
「努力したら何だってできる!!」と叱責するのはたとえ善意で
相手のために訴えていても、相手を苦しめることになると思います。

しかし、近年に至るまで、そうした脳の障害があるということを
多くの日本人が知りませんでした。
それどころか日本人独特の

「できないというのはいつの時も甘え!」「頑張れば誰だってできる!」
「人の能力に大きな差なんかない!」といった非科学的、非現実的な
「日本式精神主義」によって、

障害を持つ人たちは周囲の人々、さらに
親とか教師といった、本来なら味方になってくれる人たちからも
できないことを責められてしまう状態になりやすく
当事者である学習障害の人の心や立場を追い詰めていってしまうのです。

この記事では学習障害の人のケースを取り上げましたが、
他にアスペルガーやADHDと呼ばれる発達障害を掲げる人たちが
その障害を一般の人々に知られることもなく、学習障害を抱える人々と
同じように苦しんでいる現実があるのです。

例えば、

『育児放棄』をしてしまう母親や父親の中には、

『生まれつき育児放棄をしてしまう遺伝子』を脳に抱えて
生まれてきてしまう人もいるという研究結果が発表されて波紋を
よんでいます。

しかし残念ながらこの国では、

『自分の悪しき行動は、全て自分に原因があり、
自分を見つめ直し精進しないと何も改善しない!』であるとか
『原因は常に内にこそあり!人や外に求めるな!』だとか
『自らを省み、内面の悪しきものを改善し、乗り越えてこそ成長はあるのだ!』

などといった、「教訓やことわざの断定化」「過剰で非現実主義的な精神論」が
根強く幅をきかせていて、真面目で善人な親や教育者ほどそうした教示を
強く抱いていたりするため、発達障害の人たちもその関係者も
お互いに悪意などないのに、むしろ頑張っていたり善意だったりするのに
お互いに苦しむ結果になっていたりすることがあるのです。

私たちの住む世界は、決して

「善の心を持ってして行動すれば、全てが良い結果になるようにできているのですよ!」と
いったカタチにできているのではありません。
漫画や映画ではそうなっていたりしますが、

『現実に生きる我々は、現実を見て、現実的に、現実を切り開いてゆかねばならない』

と私は考えるのです。

――アスペルガー症候群の人の、人との対応のしかた――

アスペルガー症候群と呼ばれる高機能自閉症の人たちは
生まれてから自閉症障害になるのではなく
生まれたときから、もっと言えばお母さんのおなかの
中にいるときからすでに自閉症の脳のかたちが形成されて
いたりするわけです。つまり後天的な障害ではなく
先天性のもの、生まれつきの障害が自閉症です。

一般の自閉症と違うのは、言葉を他人と取り交わしたり
本などを読んで文字を学習したり相手に感情をさまざまに
示したりできたりする点です。
一般に自閉症と言われる人たちはまともに相手と言葉を
酌み交わして対応することができず、施設などで必要な
ケアや生活の支援などが必要となります。

しかし、高機能とされる自閉症の人たちは違います。
会話を持ちかけられたら会話の内容のかみ合うかみ合わないは
ともかくとして、「話しかけられたら話返す」ことができますし
人によってはむしろ積極的に話しかけてくるケースさえあります。

しかし、会話や応対の仕方はと言うと
一方的に自分のことばかりを話したり、あるいは逆に
ずっと相手の話を聞き入っている状態だったりします。
要するに人の投げかけに対する対応の仕方に
極端な対応がよくみられることが多いのです。

アスペルガーや自閉症のことなどについて思うことを綴ってゆきます。 

私はアスペルガー症候群という発達障害を持っている者です。
アスペルガーとは自閉症の一つで、他者との交流において
さまざまな問題がおこる「コミュニケーション障害」です。

このブログでは、自閉症の当事者である私が思うことなどを
綴ってゆこうと思います。

差峨野凌のもう一つのサイト
差峨野凌の○○倉庫
http://sagano383810.com/

『アスペルガーとは何か?』

皆さんはアスペルガー症候群という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

そもそもアスペルガー症候群とは、何でしょうか?

医学的な名称は高機能自閉症(ASD)と言います。

そう、自閉症!

それは自分以外の他者に対して思いや意思を
伝えることが困難だったり、相手に対して関心が働かない
症状を言います。つまり人と交流をはかることができにくかったり
できないという特徴を、生まれつき持っている人たちの症状を
総じて自閉症と言います。

私、差峨野凌は生まれつき自閉症と呼ばれる症状をもっています。

多くの人々は、

「自閉症の人は、まともに言葉をしゃべれないのではなかったっけ?」
と思い抱かれるかも知れません。かつての私もそう思っていました。

しかしそれは間違いでした。

健常者とされる一般の普通の人たちと同じく、
言葉でもって応対することのできる自閉症の人々もいるのです。

それは、知的障害を持ってはいないものの、
対人交流をはかるうえで欠かすことのできない「特定の脳の部位」が
発達していないため、いわゆる

「相手の気持ちを理解しない」「場の空気が読めない」「以心伝心で伝わらない」

などの言動をとってしまう人々のことで、しかし言葉を交わすことができるので
自閉症者と気づかれなかったり理解されなかったり場合によっては

「失礼な言動をとる人だ!」

と思われてしまったりすることもあるのです。

このサイトではアスペルガー症候群の当事者である私、
差峨野凌がアスペルガーのことと自身が思うことを綴ってゆこうと
考えています。

私の私見がアスペルガーの人たちの意見を代弁しているわけではありませんが
「アスペルガーの人はこういう人なんだ、こういう傾向があるんだ。」と
いったように皆さんの理解の一助になれば幸いです。